ワピ セリエ

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ウチわんわん
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ざっくばらんな本音の私設ホームページです
防災・防犯

について考える

                            全国で32万人が死ぬ 
〈近畿地方が大きく被災するケース〉
・死者:5万人〜27万5000千人
・全壊および焼失棟数:95万1000棟〜237万1000棟
4分の1が水に浸かる


これが大阪を襲う津波(南海トラフの地震)被害想定です。

平成25年5月末に発表された関西(全国的)で、地震と防災で有名な大学教授は、被害想定以外にも
地震は予知ができない!・・・・と。言い放った。

数年前、東京大学の外人学者が、とっくにTVで言い放った事と同じではないか?!!!。
そのような事を言ってい委員会的な意見で、司会者を始め討論参加者はずっこけた。

それから何年経っているのだろうか・・・。

地震を恐怖材料として、研究費用をつぎ込ませた挙句の結論だ。答えを得ただけでも良かった。かも知れないが??

しかし、この結論を出させた直接の要因は、イタリアでの大地震で出た被害に対し、予知できなかった学者に罪を問うという
イタリアのニュースが、学者達に真実を発表させた。と言われても否めないのではないだろうか。


地震火事・おやじ【親父】

怖い順番の言い伝えですが、今は、親父が抜けて、地震と雷の間に竜巻が入るようになり、親父が軟弱になったようです。



平成25年度活動目標

大阪を襲う大地震に対し、真剣に危機感を持っている人から始めるべき、

防災

防災意識向上を目指せ=現在の意識が高い人に対して集中させる。

全ての人を対象とした意識改革は、意識を平均化させ、危機意識を薄れさせる

現在意識を持つ人を限定に、生き残れる方法や、冷静な判断ができるようにアプローチする事が重要で
生き残る知識と体験の機会を提供していく事が、普及の近道ではないだろうか。
防犯 事件事故に至る前に防ぐことができる活動が防犯である。
本来の防犯に対する意識に立ち返って、それに至るであろう可能性を感じ見つけ出す。
日常の周囲に存在する些細なことを、見つけ出し断ち切る事が本来の防犯ではないだろうか。
感性を養う事が防犯に効果がある。

不法投棄・落書き・猥褻な本等の投棄物の回収。周囲の見知らぬ人には声をかける等々。



生き残りたい者だけが本気で体験できる講習会があってよいのでは。

こんな講習会があります。地域外の方も真剣にお考えをお持ちであれば受け入枠があります。

大阪旭区周辺にお住まいであれば、早めに申し込んで頂いた方には、定員までは受け入れます。
申込み順に受け付けて定員になり次第締め切ります。


開催日は8月6日 (9時30分から12時30分まで)
詳しくは、
中宮地域活動協議会ホームページへ



南海トラフで地震が必ず起きる!

〈近畿地方が大きく被災するケース〉・死者:5万人〜27万5000千人                                                 その根拠は


いつ来るかわからない大地震
他人事(ひとごと)、自分は大丈夫だ!
しかし、カウントダウンはが始まっている
サッカーで言う ロスタイム 真っ最中


 


どうも説明がわかり難いという方は

もっと詳しくクリック 

【平成25年7月14日に追加記入】

ニュース報道で被害想定が修正され、10倍の被害想定に訂正された。
【何に!】と言う感じが先に走った。つまり、死者:5万人〜27万5000千人の10倍か?
おそらく、その根拠の10倍と言う事だろう。と言う事は、その前のデーターは何人なのだろうか?
ワピ セリエ
どうも、そんな事はどうでもええのだ!。恐らく学者先生と官僚が持ち得るデーターでは、本当に近々に地震が迫っている
危機感を感じているから小出しで徐々に大きくなる報道になっていく現象ではないだろうか。

しかし、はっきり言って近々に起こらない場合の責任もある。大きくさえ言っておれば、万が一の責任逃れにもなり、小さければ、
元を明かせばそれも逃れられる的発想にさえ見える。切羽詰っている事を感じ、一般の認識の鈍さに、倍アップ報道を繰り返していく。
しかしこれは逆効果の【オオカミが出たぞ~】発言になりかねない。

ここは受け止める側が冷静にならねば。

先の被害想定で充分である。と結論付けよう!。この想定でも何も感じない人たちが多い中にあっては、その被害に遭遇するわけだ。
人間1度死んで2度死ぬ事はない。必然性に生きる事をあきらめた(生きる方法を人に任せた)人達はそれを望んでいる。
死んだ人は文句を言う事は無い。

被害の大きさを煽る事で、起きた後の言い訳を考える人達と同じ(同類項)に属している訳だ。

社会に身を委ねるのも生き方、自然の脅威の大きさを感じて生き残る動物的本能を持って技量を磨くのも、人それぞれである。