大陸での話だが・・・・。島国日本の感覚では、大陸の地形や環境は想像できない。

アメリカでの会話ですが、自動車にはトラックの荷台にも、また、車の中に明らかに沢山の人が乗っているのを見かけて、
聞いたのが、この言葉です。
「乗れるだけ載っても良い」。
車の税金は、1台目の車は税金が掛からない。車検も無い。

 これは、地方の州で、大都市での話ではないが、ここには自由という意味と国の制限できない意識の高さを感じさせられる
ものです。

 個人が自由の意味を知らない中国のように、
幼稚園の送り迎へに、40人規模の子供たちを普通乗用車に詰め込み事故が多発は、
追い越し正面衝突をする行為とは同じ次元ではなく、自由の意識落差は大きい。

 大陸では、交通(遠くへの移動手段)は生活の中でも生きる手段として必須である事。
水や空気に税金を掛ける事は、死ネということ等しい。

 他人に安全をチェックされなくっても、命にかかわる不具合を指摘されなくっても、元々自分の命に関わる事は、
自分で対処するのは当然である。
 修理も何百キロ離れた所に出すことは不可能でもある。まして動かないなら届きもしない。
自分で治すのが先決、個人レベルの意識が知識や技量を押し上げる。
ガレージに修理道具があるのが当り前なのも理解、想像できる。
安全乗れる人数も、ブレーキの効きや走る範囲さえ理解できれば、無駄も無くエコで安全に辿り着く方法であろう。

 1人しか乗らない車に後部座席は要らない。実は後部座席はもの凄い重量でも有る。
2人に限定する必要はない分けで、安全という座席装備を移動して乗車人数を自分で移動する事が、法律の枠に
抵触しないのであれば、おそらく日本国中の車の燃費の向上で、ガソリンの1日の消費量はかなり減るだろうと思われる。

この話は、国のトリック、国策と、世界メジャーの関係、技術の進歩は大国によって妨げられるというコーナーを作って、
別の機会に続けてみようと思う。


ここまで2011年12月3日記入

続きは後日