広い砂漠にも生活がある  厳しい環境限った食料
  もし一つのパンしかない場合、半分を相手に分け与えるだろうか?


 自転車と言うツールを使っての旅行は、少なくとも自動車で通りすがりの触れ合いよりも濃い経験ではある。
その中で、地球相手に生きると言う共通の脅威の習慣に接した。
砂の上で出会う見知らぬ者同士。出会うまでの苦労は言わなくっても英知がなしえた結果で、これから先へ行く
旅人の行く末はわからないのだが、今最大の人間同士のおもてなしを受けた。
思ってもいない砂漠でで合ったサプライズであった。


自転車で走っていて、そろそろテントでも張るかと思っていた時、砂山の裏っかわに黒い大きなテントを風の流れが
上を通過していく様に張った遊牧民に出会った。
挨拶に行くと、チャイ(グリンティーに砂糖を入れたもの)を歓迎の儀式と言うか、始めて会った者へのおもてなしを
してくれると言う。


石を合わせて木の枝やお茶の木箱を燃やしてお湯を沸かす。木箱には緑茶を思わせる漢字が焼印去れていたので
おそらく中国製であろうか。
 砂糖をしこたま入れて、細い注ぎ口の茶瓶で幾度も小さなガラスコップに注ぎ落として、お茶を入れてくれる。
甘ったるいが、砂漠に良く合う甘露。薄っぺらい白い煎餅らしきものを頂くが、これも美味しい。
ヤギの乳から作ったチーズとの事だ。少し砂が入っているので口の中でジャリジャリするが、砂の中にあっては
気にならない。

家族を率いる長の接待を受けて、お互いの素性とこれからの情報を交わし、今日のねぐらを同じに勧められる。
喜んで受けることにした。


長は、子供たちに指示をすると、子ヤギ1匹解体され食事として出てきた。
子供たちも食事の恩恵をうけ、客人の到来に喜びを共にしたわけだ。
子ヤギの肉はとろけるように美味しかった。
ヤギは、彼らの財産で有る訳で、突然の旅人に振舞われたおもてなしは、境地にあって、
パンを他人に等分に分ける行為は普通は出来ないものであり、私は感激した。
翌日のお別れに、私の出きることはなんなんだろうか、気持ちを表す方法を模索した。
東アフリカからずぅーと自転車に刺して携帯していたパンガ(青龍刀に似た木や枝を払うブッシュ刀)を朝の別れ際に手渡し、
最大限にお礼を言って別れた。ほんとに一期一会の別れであった。

そう言えば、オートボルタの首都ワガドゥグからニジェールへの砂漠。
バオバブの木がポツポツとある風景の夕暮れで、キャンプを張ろうと木の下に坐っていた時、
突然小さな荷物を杖に括りつけ、肩に担いだ男が現れた。
歩いてかなり遠くの村に行くらしい。
これから食事をするのだが、生きた鶏も自転車に揺られてストレスが溜まり、新鮮さをなくしそうだ。
砂漠では水が貴重で毛をむしるお湯が沸かせずつぶせない。料理の方法にためらいがあった。
その話をすると、彼もお腹がすいていたので任せてくれと、砂の上にバオバブから落ちた枝や実を集め火をつけ燃え始めると
足をくくった鶏を火の中に投げ入れた。羽根毛が焼けると砂を掛けて埋め
後は、頃合を見て引き上げ、手で引き裂いて良いとこの肉を私に。
まあ、羽根をむしるにお湯も無くと思っていたが、いとも簡単に解決か。
でも、まだ羽根の毛根と言うか残っていていまいち砂も混ざっている。

彼は残り全部平らげて翌朝立って行った。

そうだ、俺も知らず知らずにそう言う接待もやっているんだ。

続く 後ほど記入