藤とり根性(自分の技量や努力を超えた他人の努力や成果をうらやんだり、ねたんだりする気持ち)
と言うこともできるが、その前に(誰もが同じ土俵と公平な条件で、結果に差があったとき、生じる敗者の懐疑)
この言葉は世間に存在するのだろうか?
発祥の由来が定かではありません。
ただ言える事は、母方の弁次おじいさんの口から出た言葉であります。
藤の木とは、紫の花をつけて、山々や、公園の棚に香を漂わせます。
この木と言うよりも、つるを巻きつけ木々を踏み台に、成長していく木です。
巻きつかれた木は、歪み、らせん状に変形して、ひどい場合は枯れてしまいます。
山に手が入らなく、荒れ放題となります。荒れ放題の象徴として藤の花が咲き乱れる訳です。
時代的な地域性と土地の慣習から出ているようなので、背景を知っておく必要があります。
なので、この地域には、他人の山であれ誰でも自由に入って、藤のつるを取ることは了解の約束であり
慣習です。
感謝される事はあっても、とがめるものはいません。
つまり、藤のつるを取る人は誰でも無許可で山に入る事が出来ます。
能力次第で取れる量が違います。そう、タダでチャンスは皆に平等に有ります。
技量・体力・勘・眼力・根性など、グループで行くと個人の能力が数量として歴然と表れるのです。
何故、何の為に採るのか?
箕を造る材料として、貴重な現金収入になるのです。
箕(みい)とは :
兵庫県には、西宮のゑべっさん(戎神社)の祭事があります。お参りに持ち帰るお飾りの中で
ゑべっさんのお面は、箕(みい)の中に飾られています。イメージが出ない方は、雀を捕まえるために
穀物のゴミを吹き飛ばす為にちりとり風の竹製品ですが、その淵をかがっている材料が藤の皮で出来ています。
藤のつるは、加工後の品質の問題で、いつでも採って売れる物ではありません。
見つけやすい花が咲いている時期では使い物にならず
山が枯れた山色景色である寒い時期に限られています。
山を眺めてどの辺りに入ると沢山採れるのかは経験が収穫の量となります。